有泉信閑とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 有泉信閑の意味・解説 

有泉信閑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/17 14:41 UTC 版)

 
有泉信閑
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 天文18年(1549年
死没 慶長3年(1598年
別名 大学助
主君 穴山信君勝千代徳川家康
氏族 清和源氏義光逸見氏族有泉氏
昌資
テンプレートを表示

有泉 信閑(ありいずみ のぶつら)は、戦国時代から安土桃山時代武将甲斐国の人。穴山氏、のち徳川家康に仕える。

生涯

有泉氏は甲斐国巨摩郡有泉を苗字の地とする土豪で、武川衆に属す。穴山氏に従い、穂坂常陸介とともに重臣であった。天正10年(1582年天正壬午の乱において後北条氏が甲斐国に侵攻すると、武田旧臣の大村氏がこれに内通して笛吹川に布陣した。穴山勢がこれに抗戦したが、信閑はこれに加わって雁坂峠の戦いで軍功を挙げた。これが徳川家康に認められ、本多広孝大久保忠世とともに信濃国の調略を命じられる。以後も岡部正綱平岩親吉らの麾下として甲斐国の経営に従事した。天正18年(1590年)家康が関東移封となると信閑もこれに従うが、戦傷により奉公を辞して許され、上総国周淮郡に150石の隠居料を与えられた。慶長3年(1598年)に隠居地で没し、家督は子の昌資が継ぐ。一時徳川忠長に連座して失領するが、のち長柄郡に150石で復帰し、代々旗本として江戸幕府に仕えた。

出典




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  有泉信閑のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

有泉信閑のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



有泉信閑のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの有泉信閑 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS