月形深蔵とは? わかりやすく解説

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月形深蔵

幕末の福岡藩士・漢学者。父は福岡藩儒鷦■、子は洗(格庵)。名は弘、字は伯重、号は■嵐、駒太郎三太郎称す江戸出て古賀精里学び帰国赤間駅町奉行等を歴任尊王唱えて子洗とともに福岡藩尊攘派重鎮つとめた。著に『辺防之策』。文久2年(1862)歿、65才。

月形深蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/12 05:48 UTC 版)

月形 深蔵(つきがた しんぞう、寛政10年3月3日1798年4月18日) - 文久2年4月5日1862年5月3日[1])は江戸時代後期の福岡藩士、儒学者。諱は弘。字は伯重。漪嵐(きらん)と号した。月形鷦窠の子で、月形洗蔵の父。

福岡藩士で100石を食んだ。17歳で江戸(現在の東京)に出て、古賀精里に学んだ。文政2年(1819年)帰国して馬廻り役となり、藩校修猷館の指南加勢小役となった。嘉永3年(1850年)致仕し、子の月形洗蔵(詳)が跡目を嗣いだ。深蔵は辺防の策一篇を著して、当今の急勢を論じた。文久元年(1861年)、深蔵は屏居を命ぜられ、洗蔵は秩禄(給与)を奪われて謫居させられた。深蔵はこれがため憂鬱ついに病気となり、文久2年(1862年)4月5日歿した。享年65。明治24年(1891年)11月5日靖国神社合祀。明治35年(1902年)11月正五位を贈られた。

脚注

  1. ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus

参考文献

  • 筑紫豊 編「福岡県に於ける明治維新の人柱」 福岡県護国神社、1968年10月8日(非売品)21ページ


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