月岡村とは? わかりやすく解説

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月岡村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/15 08:18 UTC 版)

つきおかむら
月岡村
廃止日 1955年4月1日
廃止理由 新設合併
新保村熊野村月岡村富南村
現在の自治体 富山市
廃止時点のデータ
日本
地方 中部地方北陸地方
都道府県 富山県
上新川郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 8.63[1] km2.
総人口 2,367[2]
1938年昭和13年)末[2]
隣接自治体 大山町、熊野村、富山市
月岡村役場
所在地 富山県上新川郡月岡村大字月岡新[3]
座標 北緯36度37分20秒 東経137度15分09秒 / 北緯36.62233度 東経137.2525度 / 36.62233; 137.2525座標: 北緯36度37分20秒 東経137度15分09秒 / 北緯36.62233度 東経137.2525度 / 36.62233; 137.2525
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月岡村(つきおかむら)は、かつて富山県上新川郡にあった

沿革

  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、上新川郡月岡村、月岡新村、開発村、稲野村、上千俵村、大場新村、青柳村、大井村、西福沢村、西田中村、西黒牧村、今町村、上布目村及び中布目村の区域をもって、上新川郡月岡村が発足する。
    • 当初は開発村もか16ヶ村で上月岡村をつくる案が諮問されていた[4]
    • 開村当時は役場の事務を庶務部と会計部に分けていた[5]
  • 大正末期から1930年昭和5年) - 月岡、稲野、大場新の3大字が月岡新に合併される[3]
  • 1955年昭和30年)4月1日 - 上新川郡新保村、熊野村及び月岡村が合併して、上新川郡富南村が発足する。

村役場の変遷

1889年(明治22年)の開村当時は、開発村288番地の栗山九平村長宅(旧戸長役場)に設けられていたが、同年8月1日午前2時30分の火事で焼失した[6]。これ以降は開発村150番地の中野明慧宅(法輪寺)を借りて仮役場とした。これを機に村内中央の月岡新村432番地の岡城ヤイ宅を本役場にしたいと、富山県知事宛に請願書が提出された[7]

1891年(明治24年)6月、月岡新村字壇割125番地に村役場を新築する事が決まるも、同年10月19日の大風で、新築工事中の役場、小学校共々破壊されたため、修繕した[7]。1895年7月31日、この建物を70円で売却し、小学校の一部を借り受けて村役場とした[7]。後に小学校の児童が多くなったため、1898年(明治31年)3月30日、小学校校舎南西部に建坪33坪5合の村役場庁舎が新築された[7]。1911年(明治44年)4月、小学校新築のため村役場を仮校舎に充て、上千俵村884番地の中山作次郎宅を借り受け仮役場とした。1912年(明治45年)2月29日の校舎新築落成によって、役場を校舎の北方、上千俵村字紋兵衛割854番地に移転した[7]

1926年(大正15年)9月10日、旧村役場と同地に2階建敷地24坪余の村役場庁舎を建てた。さらに1953年(昭和28年)10月6日、上千俵字紋兵衛割895番地に小学校校舎の一部(後のプール辺り)をもって新築した。この時の庁舎は本館2階建て165坪、渡り廊下4坪、雑庫6 - 25坪、便所1.5坪、自転車置場4坪の計180.7坪であった[5]。この建物は現在のセンターが1983年(昭和58年)4月に竣工するまで使用された[8]

歴代村長

出典→[9]

  1. 栗山九平(1889年5月15日 - 1889年10月4日)
  2. 中土金太郎(1890年3月16日 - 1904年3月25日)
  3. 笹岡金之助(1904年5月29日 - 1911年10月20日)
  4. 橋本永次郎(1911年11月24日 - 1916年9月15日)
  5. 久保銀之助(1916年9月25日 - 1920年1月10日)
  6. 中土仲太郎(1920年6月1日 - 1922年4月15日)
  7. 久保銀之助(1922年5月19日 - 1926年5月18日)
  8. 中土政之助(1926年6月8日 - 1928年1月17日)
  9. 栗山武(1928年5月1日 - 1932年4月30日)
  10. 高柳喜三次(1932年6月14日 - 1933年4月10日)
  11. 谷口弥一郎(1933年4月11日 - 1937年4月10日)
  12. 中島正義(1937年4月17日 - 1945年4月20日)
  13. 大塚庄十郎(1945年5月4日 - 1946年12月5日)
  14. 荒川清治(1947年4月5日 - 1951年4月4日)
  15. 栗林久米(1951年4月23日 - 1955年3月31日)

参考文献

  • 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。

脚注

  1. ^ 『富山県町村合併誌 上巻』(1961年9月1日、富山県発行)254頁。
  2. ^ a b 『富山県町村合併誌 上巻』(1961年9月1日、富山県発行)253、254頁。
  3. ^ a b 角川日本地名大辞典 16 富山県』(1979年10月8日、角川書店発行)543頁。
  4. ^ 『月岡郷土史』(1991年3月30日、富山市月岡校下自治振興会発行)189頁。
  5. ^ a b 『月岡郷土史』(1991年3月30日、富山市月岡校下自治振興会発行)192頁。
  6. ^ 『月岡郷土史』(1991年3月30日、富山市月岡校下自治振興会発行)190頁。
  7. ^ a b c d e 『月岡郷土史』(1991年3月30日、富山市月岡校下自治振興会発行)191頁。
  8. ^ 『月岡郷土史』(1991年3月30日、富山市月岡校下自治振興会発行)192、222頁。
  9. ^ 『月岡郷土史』(1991年3月30日、富山市月岡校下自治振興会発行)565頁。

関連項目




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