春風亭小柳枝 (7代目)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/26 08:19 UTC 版)
| 七代目 | |
| 本名 | 染谷 晴三郎 | 
|---|---|
| 別名 | 染谷の小柳枝 | 
| 生年月日 | 1921年1月2日 | 
| 没年月日 | 1962年9月27日(41歳没) | 
| 出身地 |  日本・千葉県野田市 | 
| 師匠 | 七代目林家正蔵 六代目春風亭柳橋 七代目林家正蔵 六代目春風亭柳橋 | 
| 弟子 | 春風亭小柳太 | 
| 名跡 | 1. 林家正平 (1937年 - 1939年) 2. 春風亭青枝 (1939年 - 1944年) 3. 林家正太郎 (1944年 - 1949年) 4. 七代目春風亭小柳枝 (1949年 - 1962年) | 
| 出囃子 | 喜撰 | 
| 活動期間 | 1937年 - 1962年 | 
| 所属 | 日本芸術協会 | 
七代目 春風亭 小柳枝(しゅんぷうてい こりゅうし、1921年1月2日 - 1962年9月27日)は、落語家。本名∶染谷 晴三郎。出囃子は『喜撰』。生前は日本芸術協会(現:落語芸術協会)、一時TBSの専属だった時期もある。俗に『染谷の小柳枝』。
経歴
- 出身は千葉県野田市。
- 1937年∶7代目林家正蔵門下で正平となる。
- 1939年∶6代目春風亭柳橋門下で青枝に改名。
- 1944年∶再度正蔵門下で正太郎と名乗る。
- 正蔵の死後は再度6代目柳橋門下で春風亭小柳枝を襲名し、真打昇進。
人物
軽く飄々とした芸風で「甲府い」「野ざらし」などを得意とした。大食漢であったが、それがもとで晩年は糖尿病と結核に悩まされたため、若くして没した。「医者から結核なので栄養をつけなきゃいけないってんですがね。そしたら糖尿がひどくなっちまうンで、あたしゃどうしたらいいんだ。」とこぼしていた。
性格は大変粗忽で物忘れ勘違いが多かったという。
弟子
参考文献
- 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社、ISBN 458212612X
CD
- ビクター落語 七代目 春風亭小柳枝
- 落語 昭和の名人完結編 26 三升家小勝/三遊亭小圓朝/春風亭小柳枝(小学館、2012年2月)*「馬の田楽」を収録。
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