明神町との合併について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/29 00:57 UTC 版)
「養父町 (兵庫県養父郡1957年)」の記事における「明神町との合併について」の解説
もともと養父町と広谷町、および建屋村の3町村は同じ養父神社を信仰するなど、かつてから関わりが深く、昭和の大合併の際にはこの3町村の合併を目指していた。しかし当時の養父町は、生活圏が同じで、国鉄養父駅が所在している大蔵村(のちに南但町を経て和田山町)大字堀畑の一部の編入に向けて力を入れていたために合意が遅れ、3町村での合併に踏み切れなかった。そこで広谷町と建屋村の2町村は、この枠組みで1町となるという目的達成へ前進するため、将来的に養父町と合併することを前提として、合併して明神町となった。 その後、新市町村建設促進法により兵庫県知事から合併勧告が2町に発せられ、養父町が明神町に編入されるという形で合併することとなった。しかし養父町が廃止されると、郡名である「養父」を冠した町村がなくなってしまうため、郡名を保存する意味で、明神町は編入合併と同時に養父町へと改称した。
※この「明神町との合併について」の解説は、「養父町 (兵庫県養父郡1957年)」の解説の一部です。
「明神町との合併について」を含む「養父町 (兵庫県養父郡1957年)」の記事については、「養父町 (兵庫県養父郡1957年)」の概要を参照ください。
- 明神町との合併についてのページへのリンク