日光社参と船橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 01:44 UTC 版)
房川渡には、日光社参の際、臨時に船橋が架けられており、いくつかの絵図が残されている。『日光社参房川渡船橋之絵図』には、安永5年(1776年)、10代将軍徳川家治が日光社参の際の船橋が描かれている。船橋は、高瀬舟53艘並べ、舟は碇と石詰めの俵を結んで沈め、丸太と舟を結び付け梁と橋桁を並べ、粗朶を敷き、土砂と砂をのせた。また、舟の固定のため、川の両岸に杭をさし杭と艫網を繋いでいた。『日光山御社参之節房川渡シ御船橋絵図』には、天保13年(1842年)将軍の日光社参の際の船橋が描かれていた。
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