斎王託宣事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/04 07:30 UTC 版)
長元4年6月17日、月次祭に奉仕中に神がかりの状態となり、神宮祭主大中臣輔親に託宣を下した。斎宮権頭藤原相通とその妻藤原小忌古曾の不正を糾弾し、また斎宮の冷遇は天皇の失政であると朝廷を非難した。(後述の『後拾遺集』の歌の詞書によると、託宣の際に何度も酒杯をあおったとあり、酒乱状態であったようである)朝廷で対応が話し合われ、藤原実資は『小右記』に「斎王が託宣を告げるなどということは、前代未聞」と記している。藤原相通夫妻はそれぞれ流罪となった。 託宣の際に大中臣輔親と交わした和歌が『後拾遺集』に載せられている。「さかづきにさやけき影のみえぬれば ちりのおそりはあらじとをしれ」(盃に冴えた月の光が映って見えた。不逞の輩の罪は、神の目にくっきりとお見通しだ。だから、塵ほどの心配も必要ないことを知れ。)輔親の返歌「おほぢちゝむまごすけちかみよまでに いたゞきまつるすべらおほんがみ」(祖父の頼基、父の能宣、孫のわたくし輔親と、三代までもお仕え申し上げる皇祖神さま。御託宣は謹んで承りました。)
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