文庫の遺構
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 07:08 UTC 版)
金沢氏当時の文庫の建物(書庫)は、金沢氏滅亡後ほどなくして失われたと考えられる。『江戸名所図会』には「金沢文庫の旧址 阿弥陀院の後の畠」と記されており、古図には阿弥陀院(寝殿造風の建物)の裏に扉のようなものが描かれており、隧道(トンネル)の入口扉と見られる。現存する隧道の先には「文庫ヶ谷」(ぶんこがやつ)という地名の伝承があり、戦前に鎌倉時代の屋根瓦が見つかっており、中世に文庫があった候補地とされてきた。ここに県立金沢文庫を移転することになり、建設前に発掘調査が行われた。中世の文庫跡との確証は得られなかったものの、隧道から続く通路跡とその北側の建物跡が確認されている(金沢文庫遺跡)。
※この「文庫の遺構」の解説は、「金沢文庫」の解説の一部です。
「文庫の遺構」を含む「金沢文庫」の記事については、「金沢文庫」の概要を参照ください。
- 文庫の遺構のページへのリンク