教興寺とは? わかりやすく解説

教興寺

読み方:キョウコウジ(kyoukouji)

宗派 真言律宗

所在 大阪府八尾市

本尊 弥勒菩薩

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

教興寺

読み方:キョウコウジ(kyoukouji)

所在 大阪府八尾市

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

教興寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/31 04:59 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
教興寺
山門
所在地 大阪府八尾市教興寺7-21
位置 北緯34度37分8.21秒 東経135度38分10.99秒 / 北緯34.6189472度 東経135.6363861度 / 34.6189472; 135.6363861
山号 獅子吼山
院号 大慈三昧院
宗派 真言律宗
寺格 別格本山
本尊 弥勒菩薩
創建年 崇峻天皇元年(588年
開基 (伝)秦河勝聖徳太子(発願)
正式名 獅子吼山 大慈三昧院 教興寺
別称 藪寺
札所等 おおさか十三仏霊場第6番
法人番号 4122005002162
テンプレートを表示

教興寺(きょうこうじ)は、大阪府八尾市にある真言律宗の寺院。奈良市西大寺末寺である。山号は獅子吼山(ししくさん)。以前、藪がたくさん生えていたことから、地元では「藪寺」と親しまれている。

歴史

寺伝によれば、聖徳太子物部守屋の討伐を祈願するため、秦河勝に命じて崇峻天皇元年(588年)に建立したという。

寺は中世には荒れ果て、鎌倉時代に、奈良・西大寺叡尊が復興した。叡尊は河内布教の帰途の際、教興寺が荒れ果てているのを知り、文永6~7年(1269年 - 1270年)にかけて再興した。また、叡尊は蒙古襲来の際に敵国降伏の祈祷をしばしば朝廷より命じられているが、教興寺においても祈祷している。

戦国時代永禄5年(1562年)5月19日、ここに陣を敷いた河内国守護畠山高政三好義興松永久秀の軍勢との合戦となり、教興寺は戦火に巻き込まれ伽藍と多くの施設を焼失した。

再度荒廃した教興寺は、江戸時代貞享年間(1684年 - 1687年)に浄巌和尚によって再興された。浄厳と親交のあった近松門左衛門がしばらく寺に寄宿していたと伝えられている。

明治18年(1885年)の台風で本堂が崩壊したため、北側の客殿を仮本堂とし、現在に至っている。

境内

教興寺境内のクスノキ。奥に仮本堂が見える。

現在残る堂宇は、貞享年間に建てられた客殿(仮本堂)、山門および鐘楼のみとなっている。

境内に寺池、大門池という小さな2つの池があり、傍らに大きなクスノキがそびえている。敷地東端にフェニックスが生えている一角があるが、かつてそこに本堂があった。

交通

関連項目

外部リンク




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「教興寺」の関連用語

教興寺のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



教興寺のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの教興寺 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS