捻軍との戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/23 09:25 UTC 版)
太平天国を打倒した淮軍だったが、同治4年(1865年)4月に捻軍鎮圧を担当していたセンゲリンチン(僧格林沁)が戦死すると曽国藩が後任の欽差大臣に任命された。これに従って淮軍も捻軍の鎮圧にあたった。また、同治5年(1866年)冬に曽国藩が解任されると、李鴻章がその後を継いだ。 捻軍が東西に分かれてからは、西捻軍を左宗棠が鎮圧し、淮軍は東捻軍を鎮圧した。捻軍の鎮圧が完了したのは同治7年(1868年)の事である。
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