捨子養育院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/22 06:58 UTC 版)
「ウィリアム・ウィンダム (第3代準男爵)」の記事における「捨子養育院」の解説
このように憎悪を向けられることも多いウィンダムだったが、ロンドンでの公的生活では評判がよかった。例えば、1739年の捨子養育院(英語版)の特許状では創立時の総裁の1人に名を連ねているが、その背景には義父の第6代サマセット公爵の2人目の妻シャーロット・フィンチ(Charlotte Finch)が病院の創立者トマス・コラム(英語版)大尉による国王ジョージ2世への請願に最初に署名した人物だったことがある(サマセット公爵も創立時の総裁の1人である)。捨子養育院はイギリス初の捨て子のための孤児院であり、当時のロンドンの慈善事業では最も流行した。総裁にはウィンダムのほか、ニューカッスル公爵、ウォルドグレイヴ伯爵、ウィルミントン伯爵、ヘンリー・ペラム、アーサー・オンズロー、ウォルポール男爵、さらにロバート・ウォルポール自身までと錚々たる面子が揃った。
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