押小路実英
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押小路 実英(おしこうじ さねひで、1876年12月28日[1] - 1927年8月26日[2])は、明治時代から昭和時代の華族(子爵)、陸軍軍人(砲兵陸軍中佐)。旧公卿家。位階・勲等は従三位・勲四等[2]。
生涯
押小路公亮子爵と母住子(上賀茂神社の社家中大路季盛の長女、1845年(弘化2年)9月生)の三男として、1876年(明治9年)12月28日に生まれる。祖父は尊王攘夷派の公家押小路実潔。幼名は乙若。
1898年6月、陸軍砲兵少尉となり、昇進して陸軍少佐に任命され、豊橋野砲兵第二十一聯隊大隊長などを務めた。
1901年1月に家督を相続し、同年2月襲爵する。
家族
- 兄:實敬(1868年 - 1918年)
- 姉:息子(1864年 - 1944年) - 長尾家・長尾顕慎男爵の妻[3][4]
- 妻:方(1887年 - 1964年) - 海軍軍医総監の鈴木孝之助長女
- 長男:公知(1921年 - 1973年)
- 次男:公孝(1926年 - )
脚注
日本の爵位 | ||
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先代 押小路公亮 |
子爵 押小路家第2代 1901年 - 1927年 |
次代 押小路公知 |
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