折田泉とは? わかりやすく解説

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折田泉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/21 20:25 UTC 版)

折田 泉(おりた いずみ、1909年10月10日[1][注釈 1] - 1972年1月4日[4])は、日本ヴァイオリニスト作曲家[5]

経歴

鹿児島県川辺郡知覧町(現・南九州市)出身[6]。元衆議院議員の実業家折田兼至の五男[7][8][9]1927年鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)を卒業後[9][10]東洋音楽専門学校を経て東京高等音楽学院(国立音楽学校)へ進学し[9]アレクサンドル・モギレフスキー[7][9]と芝祐孟[注釈 2]に師事[1]1932年に本科卒業[1][7]。新交響楽団(現・NHK交響楽団)でもヴァイオリンを弾いたが、手首を痛めて鹿児島県に帰郷[7]。失意の中にいたが石井漠舞踊団の後援をしていた兄に誘われ、再上京して入団し舞踊に伴奏するヴァイオリニストとなる[7]。黎明期だった洋楽界の基礎がために尽くす[9]

1935年[注釈 3]石井漠の舞踏パートナーである石井みどりと結婚[5]。石井みどり舞踊団のヴァイオリニストとして活動[7]。ひとり娘に舞踏家の折田克子[9]。また、戦後米軍占領下の奄美大島で久保陽子の才能を見いだし、東京で面倒をみて音楽家として開花させる[9][12]

脚注

注釈

  1. ^ 生年を1908年とする文献もあるが[2]、『人事興信録』によると1909年10月生まれであり、その前年には兄(兼至の四男)・萬(1908年5月生まれ)が生まれている[3]
  2. ^ 芝祐孟は1926年9月より東京高等音楽学院の教授嘱託[11]
  3. ^ 『郷土人系』では結婚年を昭和11年(1936年)としている[9]

出典

  1. ^ a b c 音楽年鑑 1970.
  2. ^ 星野 2018, p. 15.
  3. ^ 人事興信所 1921.
  4. ^ 楽壇事情」『音楽年鑑 昭和48年版』音楽之友社、1973年、70頁。NDLJP:12431032https://dl.ndl.go.jp/pid/12431032/1/65 
  5. ^ a b 石井みどり『よく生きるとは、よく動くこと』(草思社、2004年)著者紹介
  6. ^ 『新・人国記 第6巻』朝日新聞社、1964年5月10日、145頁。
  7. ^ a b c d e f 星野 2018, p. 16.
  8. ^ 南日本新聞社 1969, pp. 64–65, 一県一党体制築く.
  9. ^ a b c d e f g h 南日本新聞社 1969, pp. 516–517, ひめゆりの塔.
  10. ^ 鮫島眞男『立法生活三十二年 私の立法技術案内』(信山社、1996年)369-373頁 他著者「鮫島眞男の思い出」
  11. ^ 東京日日通信社 1927.
  12. ^ 定年時代 東京版平成19年7月上旬号 音楽は“祈り”それがわたしの心 バイオリニスト/久保陽子さん 2020年3月1日閲覧

参考文献




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