手間町の常芝居小屋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/20 04:31 UTC 版)
「東雲座 (豊橋市)」の記事における「手間町の常芝居小屋」の解説
近世の吉田(今日の豊橋)は吉田城の城下町や東海道の宿場町として栄え、1889年(明治22年)には町制を施行して豊橋町となった。江戸時代の呉服町は呉服や小間物などの日用雑貨を扱う御用商人の町であり、本町・札木町・上伝馬町と比べると軒は低くて道幅は狭かった。天保5年(1834年)には手間町の西光寺裏に常芝居小屋の新築が公認されたとされる。この常芝居小屋にて、四代目中村芝翫や四代目助高屋高助などの歌舞伎役者が興行を行った。江戸時代の地方都市では芝居小屋設立の正式な認可が与えられず、「馬繋ぎ場」の名目で許可されていた。
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