戸石の塩浜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 02:06 UTC 版)
江戸時代、諫早領内には戸石1ヶ所,喜々津4ヶ所,久山5ヶ所計10カ所の塩浜(園田)があった。現在のV・ファーレン十八銀行フィールド近辺と思われる。戸石の塩浜について調査は行われていないが、概略は以下の通り。 1818年12月24日 - 戸石塩浜にて試焼したところ非常に良い塩ができあがり、諫早領主に「初塩2俵献上」とある。 1823年3月30日 - 戸石塩浜の塩小屋出火につき焼失。 1859年3月30日 - 戸石町浜手に「新に築立塩浜」とあり、初塩を諫早領主に献上する。 1823年6月22日 - 戸石の塩浜の塩2,844俵出来る。 1863年7月4日 - 大風により石垣・釜屋・浜小屋塔が破損。明治期を迎え廃止されたと思われる。 明治34年測図で見ると魚の養殖場になったと思われる。
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