戸川安章 (旗本)とは? わかりやすく解説

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戸川安章 (旗本)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/21 16:01 UTC 版)

戸川 安章(とがわ やすあきら、明和7年(1770年)- 天保10年6月2日1839年7月12日)は、江戸時代後期の幕臣旗本)・知行3000通称は大次郎。

先代・村眞の子として生まれる。母は小笠原政方の娘。妻は堀長尚の長女、後妻は堀長尚の次女。

文化4年(1807年)、父の死により家督相続する。

備中国は綿の産地の一つであり、和漢三才図会では摂津国備後国の次に質が良いという。天保元年(1830年)頃からは足袋小倉織が佐藤栄八・姫井甚七治らにより発展しつつあったが、知行所は財政難のため産業振興策をとる余裕がなかった。

天保4年(1833年)から天保の大飢饉に見舞われると、財政難に一層拍車をかけた。そのため、天保9年(1838年)から5年間の倹約令を出した。

江戸では、使番・先鉄砲頭・小石川口門番役を歴任した。

天保10年(1839年)6月2日没。

先代
戸川村眞
帯江戸川家当主
6代:1807年 - 1839年
次代
戸川安栄



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