恒岡資正とは? わかりやすく解説

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恒岡資正

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/12 13:24 UTC 版)

 
恒岡資正
死没 慶長17年(1612年
別名 内記
戒名 盛春
墓所 牛込松源寺(東京都新宿区
幕府 江戸幕府大番
主君 太田氏房徳川家康
氏族 太田氏庶流
父母 恒岡資吉、道祖廉兼の娘
資久
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恒岡 資久(つねおか すけひさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将

略歴

最初、太田氏房に仕える。天正18年(1590年豊臣秀吉小田原征伐により氏房が失領して高野山に上ると、これに随従する。文禄2年(1593年)氏房が文禄の役に従うために肥前名護屋城に赴くとこれに従うが、氏房は唐津で陣没したため、徳川家康に召し出される。慶長5年(1600年大番となり350俵を与えられた。

参考文献




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