後期難波宮の朝堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/26 19:45 UTC 版)
聖武天皇は、744年(天平16年)、726年(神亀3年)以来副都の地位にあった難波京への遷都を実施した。難波宮についても恭仁宮同様、朝堂および朝堂院については史料上みえなかったが、発掘調査により、前期難波宮跡(難波長柄豊碕宮跡)の上層で確認した。調査の結果、後期難波宮の規模は前期難波宮の規模よりはるかに小さかったが、瓦が使用され、また、朝堂は東西4堂の計8堂であったことがわかった。
※この「後期難波宮の朝堂」の解説は、「朝堂」の解説の一部です。
「後期難波宮の朝堂」を含む「朝堂」の記事については、「朝堂」の概要を参照ください。
- 後期難波宮の朝堂のページへのリンク