彦根・安芸滞在
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/28 06:48 UTC 版)
承応元年(1652年)4月何らかの事情で京都を離れ、近江国彦根に移り住んだ。妙幢浄慧によれば、幼少期に近所に住み、父や兄幼質と交流があったという。明暦3年(1657年)三竹から尺五の病を聞き、上京して脈を取り、翌日石川丈山を訪ねて詩文の添削を求めた。 その後安芸国豊田郡仏通寺(広島県三原市高坂町)辺に移り、寛文7年(1667年)『滝川心学論』を刊行したが、序文では「今は廃学して文字も忘れ、故事もおぼえず候」と述べている。
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