『滝川心学論』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/28 06:48 UTC 版)
寛文7年(1667年)刊。『心学五倫書』を熊沢蕃山著と見なし、蕃山が岡山藩で行った神道請制度や、五倫のうち君臣の道より父子の道を優先した内容を批判する。これに対し蕃山は、寛文12年(1672年)刊『集義和書』において『五倫書』は「我等の生れぬ前に出たる書」だと反論する。
※この「『滝川心学論』」の解説は、「滝川昌楽」の解説の一部です。
「『滝川心学論』」を含む「滝川昌楽」の記事については、「滝川昌楽」の概要を参照ください。
- 『滝川心学論』のページへのリンク