張野狐
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/29 07:14 UTC 版)
玄宗の演奏会では、箜篌を担当した。梨園の中で、篳篥において、第一とされる。また、俳優も兼ね、「弄参軍」(滑稽劇)を善くしたと伝えられる。安史の乱勃発後、玄宗とともに蜀に同行した。斜谷で長雨により、留まった時、玄宗は楊貴妃を悼み、「雨霖鈴」を作曲し、張野狐にその曲を授けた。唐の長安奪回後に、蜀から玄宗に同行し、その途中で、「還京楽」を作曲した。至徳年間に、玄宗が華清宮に赴いた時、玄宗に命じられて「雨霖鈴」を演奏した。半ばまで演奏したところで、玄宗は泣き崩れ、近臣はすすり泣いた。「雨霖鈴」は後世まで伝えられた。
※この「張野狐」の解説は、「李亀年」の解説の一部です。
「張野狐」を含む「李亀年」の記事については、「李亀年」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から張野狐を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から張野狐 を検索
- 張野狐のページへのリンク