張蚝を捕縛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 08:24 UTC 版)
358年2月、苻堅が并州一帯を領有していた張平討伐に乗り出すと、呂光もまたこれに従軍した。3月、前秦軍は銅壁(汾水近くの銅川に沿って築かれた砦)まで軍を進めると、張平は養子の張蚝に迎撃を命じた。張蚝は出撃すると大声を張り上げながら4・5回に渡って前秦の兵陣へ突撃し、大いに荒らし回った。これを見た苻堅はその武勇に惚れ込み、諸将へ彼を生け捕りにするよう命じ、成功した者には褒賞を約束した。これを受け、呂光は自ら出撃して張蚝に斬りかかって傷を負わせ、捕縛する事に成功した。張蚝が捕らえられた事により張平軍は崩壊し、張平もまた戦意喪失して苻堅に降伏した。 この戦功により、呂光の威名は大いに轟いた。やがて寧朔将軍に任じられた。
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