廣陵王璽との対応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 07:18 UTC 版)
1981年(昭和56年)、中華人民共和国江蘇省揚州市外の甘泉2号墳で「廣陵王璽(こうりょうおうじ)」の金印が出土した。2.3cmの正方形、高さ2.1㎝、123gそれは永平元年(58年)に光武帝の第9子で廣陵王だった劉荊に下賜されたものであり、字体が漢委奴国王印と似通っていることなどから、2つの金印は同じ工房で作られた可能性が高いとされる。西嶋定生は廣陵王璽金印は箱彫りで漢委奴国王印は薬研彫りであること、志賀島の金印の綬色は紫綬であるのに対して、廣陵王璽は「印」でなく「璽」とあることからその綬色は赤綬か綟綬(レイ:緑色)ではないかということを指摘した上で、蛍光X線分析による元素測定が待たれるとした。これに対し高倉洋彰は、漢委奴国王印と廣陵王璽は共に薬研彫りとして、鈕を飾る亀の甲羅の縁に魚子文の印刻がある点が共通し、これらは2つの金印を制作した工房の一致を窺わせるとする。
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