廣瀨敏とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 廣瀨敏の意味・解説 

廣瀬敏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/04 00:04 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
廣瀬敏
Satoshi Hirose
個人情報
本名 廣瀬 敏
ひろせ さとし
生年月日 (1976-03-17) 1976年3月17日(44歳)
国籍 日本
身長 182cm
体重 71kg
チーム情報
所属 引退
分野 ロードレース
プロ所属チーム
1997-2004
2005-2008
2009
日本舗道
愛三工業レーシング
NIPPOコルナゴ
グランツール最高成績
主要レース勝利
ツール・ド・北海道 2003
ヘラルドサンツアー第4ステージ 2006
最終更新日
2009年12月22日

廣瀬 敏(ひろせ さとし、1976年3月17日 - )は、石川県出身の元自転車プロロードレース選手である。

経歴

高校生時よりマウンテンバイクを始め、大学4年時のインカレで日本舗道(現NIPPO・ヴィーニファンティーニ)監督の大門宏の目に留まり、ロードレースを本格的に始める。北陸大学を経て、1997年より日本鋪道でプロ入り。マウンテンバイクからロードへ転向した日本初の選手である。

2002年高知国体個人ロード成年男子の部で勝利。2003年にはツール・ド・北海道で総合優勝を遂げる。

2005年愛三工業レーシングチームに移籍。2006年ではオーストラリアで行われるヘラルドサンツアー(UCI2.1)第4ステージにて勝利。チームに海外における貴重な勝利をもたらした。その後も、2007年にはツール・ド・台湾第7ステージ、2008年ツール・ド・熊野第1ステージでそれぞれ勝利と安定した戦績を残した。

2009年は古巣、チームNIPPOコルナゴに移籍する。しかし、この年にはこれといった成績は残せずツール・ド・おきなわを最後に引退を表明した[1]。 2010年11月現在、石川県金沢市に戻り、実家が経営する運転代行会社(ドリーム運転代行)に勤務中。

脚注

  1. ^ TEAM NIPPO 2010体制  宮澤、増田、中島、菊池が加入。再びコンチネンタル登録へ

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「廣瀨敏」の関連用語

廣瀨敏のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



廣瀨敏のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの廣瀬敏 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS