広島、水戸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 14:46 UTC 版)
2001年に高校を卒業し、祖父の勧めでサンフレッチェ広島に加入した。2001年のJリーグ開幕戦、3月11日の鹿島アントラーズ戦、前半10分に負傷したポポヴィッチとの交代で出場しJリーグデビューを果たすと、16分にJリーグ初ゴールを決めた。2002年シーズンに広島がJ2に降格し、1年での昇格を目指すためクラブはベテランの外国籍選手を獲得することとなり、1チームにA登録選手が3人までと規定されていた外国籍選手の保有枠に入れず、翌2003年からJ2の水戸ホーリーホックに期限付き移籍で加入した。その水戸で、個性を大事にした監督の前田秀樹のもと、ディフェンダーでありながら10得点を挙げるなどの活躍をし、守備も攻撃もできる選手としての才能が開花することとなった。同年10月には日本国籍を取得して、登録名を「トゥーリオ」から「田中マルクス闘莉王」に変更した。
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