幸一の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 06:02 UTC 版)
第二次世界大戦後、息子・山崎幸一の代になると、新たな創作菓子「知也保(ちゃぼ)」を売り出した。同品は鶏卵の形した最中で、菓子としては珍しい実用新案を取得したり、文化人・武者小路実篤が和歌に詠むなど、高い評価も得た。当社はその後も新しい菓子の創作を追求し続け、そうして浜松らしい菓子をと考案したのが「うなぎパイ」であった。うなぎパイの躍進はまさしく“鰻登り(うなぎのぼり)”であり、それと共に当社は日本の高度経済成長期と相まって全国にその名を知られるようになった。
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