帝塚山学院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/23 14:28 UTC 版)
大阪が発展する中、女子教育の場が少ない事から、大正5年(1916年)2月私立桃山中学校校長浅野勇と同校教員石谷熊吉は、大阪財界への協力を求め山田市郎兵衛、八木与三郎、山本藤助と田附政次郎に学院創設を提案した。政次郎等は喜んで協力を了承し、同年8月14日には、田附政次郎等5人が発起人となり、財団法人私立帝塚山学院の創設認可を文部大臣に出願し、12月21日に認可され、当初は小学部だけであったが翌年4月新入生を迎え新校舎完成後の5月『帝塚山学院開校式』を行った。その2年後には幼稚部、10年後の大正15年(1924年)に女学部(高等女学校)を開校。政次郎は亡くなる前まで理事として学校運営に協力した。
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