西光寺 (阿南市)とは? わかりやすく解説

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西光寺 (阿南市)

(己心山 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/09 03:13 UTC 版)

西光寺
所在地 徳島県阿南市那賀川町赤池185番地
位置 北緯33度56分25.4秒 東経134度39分49.7秒 / 北緯33.940389度 東経134.663806度 / 33.940389; 134.663806
山号 己心山
宗派 真言宗大覚寺派
本尊 不動明王
創建年 神亀年間(724年729年
開山 行基
正式名 己心山 平等院 西光寺
文化財 平島公方墓所「公方と一族の墓二十一基」(阿南市指定文化財)、「平嶋庄内惣講識寄進状之事」一通(阿南市指定有形文化財)
法人番号 3480005004375
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西光寺(さいこうじ)は、徳島県阿南市那賀川町赤池にある真言宗大覚寺派寺院。山号は己心山。本尊は不動明王阿波公方菩提寺として有名。

歴史

足利義冬(義維)細川持隆(氏之)に伴われ、阿波に来た折に一時逗留した。その後、平島館に遷った。足利(源)義冬の来住は天文3年(1534年)ともいわれる[1]

足利義稙足利義栄室町幕府二代の公方、足利義冬以下阿波公方である足利義助、足利義景、足利義辰足利義武足利義宣の5人とその縁者の墓21基を持つ[2]足利義根の阿波退去の折には、義根に寺請証文を出している。その後、徳島藩より、阿波公方歴代の墓守料五十石を寄付されている。

1942年昭和17年)に火災が発生し、本堂の焼失などがあったが、仁王門などは現存している。仁王門の左右には金剛力士立像2躯存在する。参道から境内に向かって、右に阿形像、左に吽型像が安置されている。像高は6尺余り[3]

明治元年にも、火災が発生している。それまでは、伽藍を持つなど規模の大きな寺であった。平等院の号は、昭和17年の火災の焼け残りから出てきた資料からで、そもそもどういう理由で、いつからその名前だったのかは、不明である。

本寺には旧国宝(現行法の重要文化財に相当)の木造阿弥陀如来像があったが、1942年の火災で焼失した[4]。また阿波の古学者である高橋赤水の墓がある[5]

交通

脚注

  1. ^ 田中省造・しゃくなげ会編『徳島県寺院事典(中)ー県南の寺院』106頁、2000
  2. ^ 村井道明編著「那賀川町の平島公方関係墓碑について 付録 高橋赤水関係年譜」1頁、2006.9
  3. ^ 阿波学会編「総合学術調査報告 那賀川町 阿波学会紀要第41号」192頁、1995.3
  4. ^ 文化庁編『戦災等による焼失文化財(増訂版)美術工芸品編』、便利堂、1983
  5. ^ 有馬卓也『近世阿波漢学史の研究 古学者高橋赤水』2頁 中国書店 2007.3

参考文献

  • 「平島公方史料集」

関連項目




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