川越藤一郎とは? わかりやすく解説

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川越藤一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 09:01 UTC 版)

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川越 藤一郎(かわごえ とういちろう、1914年4月9日 - 2002年4月16日)は、昭和初期の日本の元ラグビー選手。後に日本ラグビーフットボール協会第9代会長。

プロフィール

来歴

京都府立京都第一中學校(現在の京都府立洛北高等学校・附属中学校)を経て、早稲田大学(以下、早大)に進学。1937年度シーズンには早大の主将を務め、東西学生ラグビーフットボール対抗王座決定戦の制覇に貢献。また日本代表選手として、1936年ニュージーランド学生代表 (NZU) 戦でキャップ1を獲得した。

その後、1987年1992年まで関西ラグビーフットボール協会会長(後に同協会名誉会長に就任)、1992年〜1994年まで日本ラグビーフットボール協会第9代会長を務めた。2002年4月16日、脳梗塞のため死去。88歳没[1]

関連項目

参考文献

脚注




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