川崎市の新川崎地区新駅構想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 16:00 UTC 版)
「羽田アクセス線 (新横浜)」の記事における「川崎市の新川崎地区新駅構想」の解説
1984年に新鶴見操車場が廃止されると、川崎市は跡地の新川崎地区にドーム球場を目玉とした大規模再開発計画を立てた。そして1986年9月、神奈川東部方面線を新川崎地区に建設する新駅を経由させると発表した。背景には、7号答申で認められなかった川崎縦貫高速鉄道の機能の一部を、神奈川東部方面線で代替させる狙いがあった。神奈川県と横浜市は難色を示したものの、1990年7月、新横浜駅 - 川崎駅間は、新川崎地区新駅を経由することで、神奈川県知事、横浜市長、川崎市長が合意した。
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