崎元正教による考証
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/15 02:43 UTC 版)
崎元正教は『日本書紀』に記載されていることは単なる伝承ではないとする立場から、神社伝承からの考証なども加えるべきとして、安房神社をはじめとする複数の神社にまたがる天富命に関する伝承がそれぞれ矛盾なく説明できることをあげ、その信憑性を評価し、景行天皇東国巡狩については、神社伝承などの考証から、伊勢を経由し尾張から海路により房総に至ったとするなど、当地は黒潮と黒潮反流を利用した水上交通によって、律令制以前から、畿内など西国とのつながりが深かったとされている。尚、現在の徳島県や和歌山県と南房総に共通の地名が多いのは良く知られていることである。
※この「崎元正教による考証」の解説は、「阿波国造」の解説の一部です。
「崎元正教による考証」を含む「阿波国造」の記事については、「阿波国造」の概要を参照ください。
- 崎元正教による考証のページへのリンク