岸信周(岸一族)調略
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/08 15:37 UTC 版)
信長本隊は兵を北へ進め、斎藤氏の豪勇であり、戦上手の岸信周が守る堂洞城を味方につけようと、金森長近を使者として説得するが、岸一族は中濃三同盟と斎藤氏と共に義の道を選び、拒否する。使者の眼前で信房の嫡子の首を刎ねたため、長近は「明日の戦でおめにかかろう。」としか言えず、堂洞城を退いた。信長は岸一族の豪勇を認め、味方にし、今後織田家の重鎮として取り立てたかったが、説得を諦め、堂洞城攻略を決意する(堂洞城は加治田城からわずか数キロの南にある)。
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