岩手・宮城県内での死者数
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 21:27 UTC 版)
「宝暦の飢饉」の記事における「岩手・宮城県内での死者数」の解説
岩手県と宮城県内の寺院に残された過去帳を調査したところ、南部藩の死者数は宝暦6年は同4年の5倍強となっており、仙台藩でも同6年は同4年の約2倍の死者数となっている。月別にみても、南部藩では宝暦5年10月ごろから死者数が増えはじめ翌6年の4月から5月ごろにピークに達し、端境期をこえると急激に減少し、その年の収穫があった年末ごろにはほぼ平年値に戻った。仙台藩でも6年4月がピークで、同年3月、5月の順に死者数は多くなっている。宮城県全域でみても、死者の最も多かった宝暦6年は年の前半に死者が多く出ている。
※この「岩手・宮城県内での死者数」の解説は、「宝暦の飢饉」の解説の一部です。
「岩手・宮城県内での死者数」を含む「宝暦の飢饉」の記事については、「宝暦の飢饉」の概要を参照ください。
- 岩手・宮城県内での死者数のページへのリンク