岡崎城代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 00:24 UTC 版)
弘治2年(1556年)に徳川家康(当時は松平元信)が今川義元の許しを得て、亡父広忠の法要のため父の居城であった岡崎城に戻った際、岡崎城本丸に居た今川方城代山田景隆に遠慮して、家康自身は二の丸に入って景隆に諸事の意見を仰ぐとしたといわれ、今川義元がその話を耳にして「この人若輩に似合わぬ分別厚き人なり」と家康に感心したという逸話が残る。
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