岐阜市への編入の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 22:29 UTC 版)
本来、「岐阜」と「加納」は同地異質の城下町であるが、1888年の市町村制度が施行された際に、別個の自治体として存在していた。岐阜市と加納町との合併は、1913年(大正2年)に岐阜駅が現在地に移転した頃から検討されたが、1934年(昭和9年)に岐阜県師範学校が岐阜市長良に移転した問題をきっかけに頓挫する。 その後、地名に「加納」の文字を残すこと、岐阜駅、東海道本線下に地下道を設けるなどを条件に、1940年(昭和15年)1月23日に岐阜市への編入案が可決され、同年2月11日に編入された。
※この「岐阜市への編入の経緯」の解説は、「加納町」の解説の一部です。
「岐阜市への編入の経緯」を含む「加納町」の記事については、「加納町」の概要を参照ください。
- 岐阜市への編入の経緯のページへのリンク