山梨県護国神社とは? わかりやすく解説

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山梨県護国神社

読み方:ヤマナシケンゴコクジンジャ(yamanashikengokokujinja)

教団 神社本庁

所在 山梨県甲府市

祭神 護国神霊

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

山梨縣護國神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/18 10:06 UTC 版)

山梨縣護國神社

鳥居と拝殿
所在地 山梨県甲府市岩窪町608
位置 北緯35度41分1秒 東経138度34分56秒 / 北緯35.68361度 東経138.58222度 / 35.68361; 138.58222座標: 北緯35度41分1秒 東経138度34分56秒 / 北緯35.68361度 東経138.58222度 / 35.68361; 138.58222
主祭神 護国の英霊
社格 内務大臣指定護国神社別表神社
創建 明治12年(1879年
例祭 4月5日10月5日
地図
山梨縣
護國神社
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山梨縣護國神社(やまなしけんごこくじんじゃ)は、山梨県甲府市にある神社護国神社)である。西南戦争以来の山梨県関係の戦没軍人・軍属の戦死者25039柱を祀る。

略歴

明治12年(1879年)、招魂社として市内太田町に建立されたのに始まる。昭和17年(1942年)に現在地に遷座し、昭和19年(1944年)、山梨縣護國神社に改称した。戦後の一時期、山梨宮に改称していた。現在「山梨宮」は、山梨県出身の殉職自衛官などを祀る摂社の名前になっている。近隣にある「躑躅ヶ崎霊園」はかつての陸軍墓地が基盤であり、殉職した兵士の遺骨は護国神社内に改装されている。

現鎮座地である岩窪は甲府藩柳沢氏菩提寺である黄檗宗寺院永慶寺の所在地で、永慶寺は享保9年の甲斐国一円が幕府直轄領化された際に大和郡山に移転された。また、山梨県内有数の桜の名所としても知られている。

建物は、昭和17年(1942年)建築。主に全国護国神社設計を行った、内務省神社局の角南隆による設計プラン。護国神社は祭典に祭神の遺族、関係団体等の参列が非常に多いことから、拝殿前に広場を設けており「拝殿等の祭典を行う社殿建築は、この広場と連携して祭儀の際にも支障なく、平時に於いてもよく調和するものでなくてはならぬ」という考えに基づいている。

交通

  • JR甲府駅北口2番のりばより山梨交通バス「武田神社」行きまたは「積翠寺」行きに乗車し、「護国神社入口」バス停下車、徒歩約10分。

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