山本竟山とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 人名 > 美術人名辞典 > 山本竟山の意味・解説 

山本竟山

読み方やまもと

書家。岐阜県生。名は由定、通称は卯兵衛別号に襲。書を神谷斎・日下部に学ぶ。中国渡り金石学古碑法帖等を研究。また呉昌碩楊守敬交わって大きく影響を受け、その勁抜な筆致知られる昭和9年(1934)歿、75才。

山本竟山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/21 15:28 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

山本 竟山(やまもと きょうざん、文久3年9月28日1863年11月9日) - 昭和9年(1934年1月24日)は、近代日本の書家。名は由定。竟山、聾鳳と号した。美濃国厚見郡岐阜町(現在の岐阜県岐阜市)の出身[1]

経歴

書は日下部鳴鶴に師事した。明治35年(1902年楊守敬を慕って清国(現在の中国)に渡り書法を学んだ。以後中国に遊学すること7回に及んだ。そこで楊守敬のほか呉昌碩、顧麟士らと交流して書学を研鑽し、多数の法帖碑版を日本へもたらした。明治時代の末には京都へ転居し多くの子弟を教育して関西の書壇に新風を吹き込んだ。学書の基本をいつも古典の臨書においていた人であり、個性を尊び、創造性と自主性のある書を書くことを心がけたという。王羲之蘭亭序を好んでたびたび臨書している。

脚注

[ヘルプ]

作品集

  • 山本竟山先生五十回忌追悼会運営実行委員会編『山本竟山先生五十回忌追悼記念展図録・作品集 日本近代書道の先覚者』泰山書道院(1983年)


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「山本竟山」の関連用語

山本竟山のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



山本竟山のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
株式会社思文閣株式会社思文閣
Copyright(c)2025 SHIBUNKAKU Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの山本竟山 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS