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山本常夫 (野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/05 02:39 UTC 版)

山本 常夫
日本福祉大学付属高等学校硬式野球部 監督
基本情報
国籍 日本
出身地 大阪府
生年月日 (1961-01-13) 1961年1月13日(64歳)
選手情報
ポジション 外野手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

山本 常夫(やまもと つねお、1961年1月13日 - )は、日本高校野球指導者[1]、元野球審判員神村学園監督として、春2回、夏3回の甲子園出場を果たした[1]

経歴

大阪府出身[1]

近畿大学附属高等学校で中堅手として甲子園を目指したが、3年の夏には、大阪府大会決勝でPL学園に敗れ甲子園出場は果たせなかった[2]

将来の指導者、教員を目指して日本体育大学へ進学し[2]硬式野球部外野手としてプレーし、後には母校の近畿大学附属高等学校でコーチを2年経験した[1]

審判としての甲子園出場

その後、養護学校の教員や、クラーク記念国際高等学校の教員として勤務しながら[3]、大阪府や兵庫県審判として高校野球に関わり続け[1]2006年第88回全国高等学校野球選手権大会では審判として甲子園に出場した[2]

神村学園の監督として

2007年鹿児島県の神村学園の保健体育科教諭、野球部監督となり[注 1]2013年に退任するまでの間に、春の選抜高等学校野球大会では第81回(2009年)第84回(2012年)、夏の全国高等学校野球選手権大会では第89回(2007年)第93回(2011年)第94回(2012年)に、甲子園出場を果たした。この間に神村学園で指導した選手の中には、柿澤貴裕らがいた[1]

その後

2014年福岡県自由ケ丘高等学校の教諭、野球部副部長となり、2015年には監督、2016年には部長を務めた[3]

2017年からは、愛知県日本福祉大学付属高等学校の教諭、監督となった[3]

2017年時点で、山本は、監督と審判として甲子園に出場した唯一の人物とされている[3]

脚注

注釈

  1. ^ 厳密には、3月に期限付き契約の監督となり、同年夏に初出場した夏の甲子園の指揮を執った後、10月にコーチとなり、前任者の正式な退任を待って、2008年3月に正式に監督となっている。

出典

関連文献

  • 田尻賢誉、氏原英明『指導力。 高校野球で脱・勝利至上主義を目指した11人の教師』日刊スポーツ出版社、2013年
  • 政純一郎『番狂わせから見える甲子園』南方新社、2013年
  • 田尻賢誉『道をひらく高校野球監督の名言』ベースボール・マガジン社、2014年
  • 日本体育大学野球部OB会 編著『日体大野球部虎の巻』叢文社、2014年



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