層塔型の初例とする説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 04:03 UTC 版)
「亀山城 (丹波国)」の記事における「層塔型の初例とする説」の解説
丹波亀山城の天守を、日本初の層塔型天守であるとする見解もあるが、『寛政重修諸家譜』を根拠に今治城天守(1604年から1608年の間の建造)を移築したものであるという説がある。この説では、徳川家康がこの亀山城を天下普請によって造営した際、縄張設計を担当した藤堂高虎が、元々自身の居城である上野城へ移築するために解体していた用材を献上し、建てたものであるとしている。これを元に、今治城天守を層塔型天守の初見とする説がある一方で、今治城天守の外観や規模は不明であり、また天守の存在について発掘調査からは認められてはいない。 なお、天守ではないが初期の層塔型として加納城御三階(1602年)がある。
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