尾張徳川家へ伝来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/13 15:29 UTC 版)
しかし、1615年(慶長20年)の大坂夏の陣にて大坂城の落城と共に焼けてしまい、大坂城の焼け跡から焼刃となった鯰尾藤四郎が見つけ出された。吉光の名刀が失われるのを惜しんだ徳川家康が初代越前康継に命じて焼き直しされて徳川家の所有となる。その後、家康が死去した際に駿府御分物と呼ばれる遺産分与により尾張藩初代藩主の徳川義直に渡って以降は尾張徳川家の所有となる。明治維新以降も尾張徳川家に伝来し続け、所有元は徳川黎明会名義となり徳川美術館に所蔵されている。
※この「尾張徳川家へ伝来」の解説は、「鯰尾藤四郎」の解説の一部です。
「尾張徳川家へ伝来」を含む「鯰尾藤四郎」の記事については、「鯰尾藤四郎」の概要を参照ください。
- 尾張徳川家へ伝来のページへのリンク