尹礼
はじめ泰山一帯で臧霸・孫観・呉敦・昌豨らと勢力を合わせ、呂布に荷担していた。呂布が敗北すると、曹操は臧霸を召し寄せて尹礼らを招かせた。尹礼は曹操のもとに参向し、新たに設置された東莞郡の太守に任じられる《武帝紀・臧霸伝》。もともと尹礼が東莞を拠点にしていたためらしい《臧霸伝集解》 黄初三年(二二二)十月に孫権が魏に背くと、翌十一月、征南将軍曹仁は臧霸に命じて強襲をかけさせたが、呉の将軍全琮・徐盛らの反撃に敗れた。このとき全琮の手の者に斬られた将軍「尹盧」が見える《呉主伝・全琮伝》。尹礼のことだろう。 【参照】呉敦 / 徐盛 / 昌豨 / 全琮 / 曹仁 / 曹操 / 臧霸 / 孫観 / 孫権 / 呂布 / 呉 / 泰山 / 東莞郡 / 将軍 / 大司馬 / 太守 |
尹礼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/25 15:27 UTC 版)
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尹礼 | |
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後漢 東莞太守 |
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出生 | 生年不詳 兗州泰山郡? |
死去 | 黄初3年(222年)? |
拼音 | Yĭn Lĭ |
別名 | 盧児 |
主君 | 臧覇→曹操→曹丕? |
尹 礼(いん れい、生没年不詳)は、中国後漢末期の武将。出身地は不明だが、臧覇・孫観らと初期から行動を共にしているため、兗州泰山郡の人である可能性が高い。『三国志』魏書臧覇伝の注に引く『魏略』によれば、「盧児」という別名も有していたという。
正史の事跡
元々は泰山付近で独立した小勢力を有していた。臧覇が開陽で独立勢力を立ち上げると、尹礼は孫観・呉敦と共にその配下となっている。
曹操と呂布が対立した際には、臧覇に従い呂布の味方をする。しかし、建安3年(198年)に曹操が呂布を滅ぼすと、臧覇らと共に曹操に降伏した。臧覇が琅邪国相に任命されると、尹礼も東莞太守に任命されるという厚遇を受けた。その後、尹礼の名は史書に現れない。
なお黄初3年(222年)に、呉に侵攻した魏軍が徐盛に撃ち破られたが、このとき戦死した魏将に「尹盧」という人物がいる。これは、かつて「盧児」と渾名されていた尹礼を指している可能性もある。
物語中の尹礼
小説『三国志演義』では、当初は臧覇の部下ではなく、孫観・呉敦・昌豨と共に、なぜか泰山の山賊として扱われている。曹操と呂布の決戦の際に、臧覇の勧誘により呂布と同盟を結び、蕭関を守備するが、曹操軍に撃破されてしまう。呂布滅亡後、臧覇の説得を受けて曹操に降伏し、その後は作中から姿を消す。
参考文献
- >> 「尹礼」を含む用語の索引
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