小笠原慈聞とは? わかりやすく解説

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小笠原慈聞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/15 08:10 UTC 版)

小笠原 慈聞(おがさわら じもん、1875年 - 1955年)は、日蓮正宗である。

第二次世界大戦中、宗内で反執行部の立場をとり、神本仏迹説[注釈 1]を唱え軍部に迎合し日蓮宗との合同を図っていた[1][2]1942年9月14日宗門から擯斥(僧籍剥奪)処分を受けた[3]

1952年4月27日、「宗旨建立七百年慶讃大法要」が営まれていた総本山大石寺境内で、創価学会(学会)初代会長牧口常三郎の投獄を招いたとして学会青年部員48人から糾弾を受け、牧口の墓所の前で戦前の言動の誤りを謝罪した(「狸祭り事件」)[1][2]小説人間革命』第6巻に「笠原 慈行」の名で登場しこの事件が取り上げられている[2][4]

脚注

注釈

  1. ^ の仮の姿である、という宗教思想。神は仏の仮の姿である、との本地垂迹説に対する。

出典

  1. ^ a b 「事件の全貌と真相 神本仏迹論の小笠原慈聞師を学会青年達が"狸祭り"」『聖教新聞』1952年5月10日、3面
  2. ^ a b c 高橋篤史 (2018年3月12日). “誰も知らなかった「昭和初期」創価学会の本当の姿 「狸祭り事件」とは何か”. 現代ビジネス. 講談社. 2020年8月4日閲覧。
  3. ^ 『大日蓮』4月号、大日蓮社、1952年4月30日
  4. ^ 『人間革命』全12巻 要旨 第6巻”. 創価学会公式サイト. 2020年8月4日閲覧。



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