小川義男
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/04 14:52 UTC 版)
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小川 義男 (おがわ よしお) |
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生誕 | 1932年 北海道 |
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出身校 | 北海道学芸大学学芸学部札幌分校(現:北海道教育大学教育学部札幌校)卒業 亜細亜大学大学院法学研究科修士課程修了 早稲田大学大学院商学研究科修士課程修了 早稲田大学大学院社会科学研究科博士課程満期退学 |
プロジェクト:人物伝 |
小川 義男(おがわ よしお、1932年 - )は、日本の教育者、文学者。狭山ヶ丘高等学校・付属中学校校長、理事長(1996年11月~)。元埼玉県私立中学高等学校協会会長(2010年4月~2022年)[要出典]。
2017年(平成29年)11月、瑞宝小綬章を受章した[1]。
本校生徒からの愛称は「ちいかわ」「よっしー」「SSR」「じい」
来歴
幼少期時代
1932年、北海道で出生。
幼くして実の母を亡くし、別部屋で小指ほどの大粒の涙を流したと語っている。
また、確かに別部屋ではあったが涙を流した瞬間母を亡くしたことを悟ったと語っている。
泣き疲れてそのまま寝てしまったと本人が明かしている。
名言・格言
・「親の恩は山よりも高く海よりも深い」2024年度入学式答辞
・「好きなだけ漏らしなさい」2024年度中等部結団式
・「私は中学3年生の頃、何度も漏らした」 2024年度中等部結団式
・「私はフルシチョフとゴルバチョフと会食したことがある」
・「私しゃね~この学校から総理大臣を出したい。」
・「母親が亡くなったとき、私は小指ほどの大粒の涙を流したね〜」2025年度入学式校長先生の言葉
・「明治時代以降、史上最悪の総理大臣が誕生した」2024年度謝恩会
・「狭き門から入れ」
・「我が校は埼玉県有数の進学校です。」
•「私もまた、挑戦したいなぁ。」2024年度入試激励メッセージより引用
・「生徒会選挙とは民主主義の根幹である」2024年度生徒会選挙校長先生の言葉より引用
・「彼らはね、たしかに今の君たちと比べたら学力は劣るが、賑やかで愛想が良い連中だったね。」
・「私の夢は大埼玉帝国を作ることです。」2024年度終業式校長先生の話より引用
・「昔ね、陸上の大会で我が校が出場することになり京都に行ったときにね、街中を占拠するくらいの量の旗を持って行きましたね。」
・「私はね、実は安倍前首相とは幾度か会ったことはあるんだけども、岸田首相とは一回も会話したことがない」
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著書
- 『学校崩壊なんかさせるか!』(致知出版)- 1999年11月出版。
- 『「親ばか」「教師ばか」が「素直な子」を育てる』(小学館)- 2001年4月出版。
- 『あらすじで読む日本名著』(中経出版)- 2003年7月出版。共著・狭山ヶ丘高校教職員。発行部数80万部を記録。
- 『あらすじで読む日本の名著No.2』(中経出版)- 2003年11月出版。共著・狭山ヶ丘高校教職員。発行部数25万部を記録。
- 『あらすじで読む日本の名著No.3』(中経出版)
- 『二時間目 国語』(宝島社文庫)
- 『子ども家畜論』(祥伝社)2007年6月出版
- 『名物校長の教育論』(明成社)2009年1月出版
脚注
- ^ “平成29年秋の叙勲 瑞宝小綬章等受章者 東京都” (PDF). 内閣府. p. 2 (2017年11月3日). 2021年10月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年1月11日閲覧。
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