小寺正志
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小寺 正志(こでら まさし、1904年 <明治37年> 12月22日 - 1988年 <昭和63年> 9月24日)は、日本の経営者。山陽新聞社社長を務めた。位階は従四位。
来歴・人物
岡山県岡山市出身[1]。1923年に岡山県第一岡山中学校を卒業し、同年に山陽新聞社へ入社した[1]。1947年2月に監査役に就任し。同年12月に取締役、1950年12月に常務、1955年12月に専務を経て、1957年4月には社長に就任[1]。1973年12月に取締役相談役を経て、1977年に相談役に退いた[1]。一方で、俳人としても活躍し、「小寺冬至」という俳号が使用されていた[1]。
1988年9月24日、急性心不全のために死去[2]。83歳没。死没日付をもって従四位に叙された[3]。
脚注
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