尊皇家・臣茂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 15:04 UTC 版)
尊皇家であり、終戦後、昭和天皇が戦争責任をとっての退位を申し出た時も吉田が止め、国民への謝罪の意を表明しようとした時も吉田が止めたという。 1952年(昭和27年)11月の明仁親王の立太子礼に臨んだ際にも、昭和天皇に自ら「臣茂」と称した。これは「時代錯誤」とマスコミに批判されたが、吉田は得意のジョークで「臣は総理大臣の臣だ」とやり返した。
※この「尊皇家・臣茂」の解説は、「吉田茂」の解説の一部です。
「尊皇家・臣茂」を含む「吉田茂」の記事については、「吉田茂」の概要を参照ください。
- 尊皇家臣茂のページへのリンク