寛城子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 07:42 UTC 版)
1901年(光緒27年)、ロシア帝国の国策会社である東清鉄道(後の中東鉄路)により東清鉄道南満洲支線が敷設され、長春城から北西の「二道溝」に駅が設置された。長春の旧称から寛城子駅と名付けられ、駅周辺を取り囲む553ヘクタールに及ぶ長方形の土地が「東清鉄道寛城子附属地」とされた。なお、寛城子駅周辺の地名が正式に「寛城子」となったのは鉄道附属地となってからである。 1936年(康徳3年)1月、満洲国が北満鉄路(中東鉄路)をソビエト連邦から買収した事に伴い、それまでソ連(ロシア)の管理下だった鉄道附属地が満洲国に編入され、これにより寛城子附属地も正式に新京特別市の行政区域に組み込まれた。
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