宰務剛兵とは? わかりやすく解説

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宰務剛兵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/01 10:27 UTC 版)

宰務 剛兵[1][2](さいむ ごうへい、1891年明治24年)[3] - 1930年昭和5年)1月11日[4])は、日本実業家資産家醸造家政治家

岡山県勝田郡滝尾村[5]。無限責任滝尾村信用購買組合理事[4]。岡山県協和会評議員[6]

経歴

東京の海城中学を卒業して、中央大学予科に入ったが中途退学する[3]。酒醤油醸造及び木材薪炭材商を営む[3]。また滝尾村青年団会計に選任され[7]、同村会議員[3]、同村長をつとめる。

人物

寺田蘇人著『部落の人豪』に岡山県勝田郡部落有力者・富豪として宰務剛兵の名前が挙げられている[1]。住所は岡山県勝田郡滝尾村津川原[2](現・津山市三浦)。

脚注

  1. ^ a b 『部落の人豪』116頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月23日閲覧。
  2. ^ a b 『大日本商工録 公認 大正14年版』岡山県 木炭薪炭17頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月23日閲覧。
  3. ^ a b c d 『日本国勢調査記念録 岡山県』宰務剛兵氏(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月23日閲覧。
  4. ^ a b 『官報 1930年03月24日』官報 第967号 587頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月23日閲覧。
  5. ^ 『市町村治績録 改訂第2版』岡山県48頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月23日閲覧。
  6. ^ 『岡山県労働運動史資料 上巻』360頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年11月23日閲覧。
  7. ^ 『勝北地誌』87頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年12月1日閲覧。

参考文献

  • 村川素泉編『勝北地誌』美作之実業社、1915年。
  • 蘇人寺田勇吉『部落の人豪』藤屋商店出版部、1920年。
  • 『日本国勢調査記念録 岡山県』日本国勢調査記念出版協会、1922 - 1923年。
  • 大日本商工会編『大日本商工録 公認 大正14年版』大日本商工会、1925年。
  • 日本自治協会編『市町村治績録 改訂第2版』日本自治協会、1930年。
  • 大蔵省印刷局編『官報 1930年03月24日』日本マイクロ写真、1930年。
  • 岡山県労働運動史資料編集委員会編『岡山県労働運動史資料 上巻』岡山県中央労働学校、1951年。



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