宰孔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/03 07:47 UTC 版)
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宰孔 | |
---|---|
周 | |
不明周公 | |
王朝 | 周 |
字 | 姫孔 |
宰 孔(さい こう)は、周公旦の末裔。周公孔・宰周公とも。宰姓の始祖。周の襄王時期に太宰に任じられ、襄王の理政を輔佐した。
襄王元年(紀元前651年)に斉の桓公が中原で覇を唱え、魯・衛・宋・許・鄭・曹の各国の諸侯を葵丘(現在の河南省商丘市民権県)で会盟を行った。宰孔は襄王の代理で出席し、周王室の祖先(文王・武王)の祭祀に用いた文武の胙と赤色の矢を下賜した。春秋の覇主と認めた。
脚注
宰孔
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先代: 桓公(周公黒肩) |
周公 不明 |
次代: 周公忌父 |
先代: 数代前:周公旦 |
太宰 不明 |
次代: 王子虎 |
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