宮崎祥司とは? わかりやすく解説

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宮崎祥司

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/31 18:54 UTC 版)

宮崎 祥司(みやざき しょうじ、1963年12月16日 - )は、三重県津市出身[1]の元オートバイロードレース選手。1988年・1991年の全日本ロードレース選手権TT F1クラスチャンピオン[2]。国際A級通算9勝。

経歴

キャリア初期

鈴鹿サーキットから近い津市出身。少年時代から自転車でサーキットへ観戦に行っており、中学時代は自分が免許をとれるまでにレースを研究できる分野としてラジコンカーに熱中。津市内で開催された120人ほど参加者がいるラジコン大会で優勝歴がある。中学1年の時に鈴鹿BIG2&4レースで四輪のフォーミュラ2を観戦、高橋国光[3]星野一義のファンだった。高校に進学後はレーシングカートに1年ほど打ち込む。オートバイ免許を取る前にスズキモトクロス車両・RM80を中古で見つけ練習に励み、高校3年で初めてモトクロスレースに出場した。

1982年、高校を卒業しスズキに入社すると、テスト課に配属された。「モトクロスをやりたかった」のがスズキを選んだ主な理由であり、もしも先にロードレースをやり始めていたらヤマハに入りたいと思ったかもしれないと当時を述べている[3]。社内でできた友人と話しているうちにロードレースも格好いいよねという話になり、同年9月に鈴鹿でロードレースライセンス取得講習会を受講、市販レーサーRS125Rの購入準備を始めた。

1983年、マシンが届くとプライベーターとして全日本ロードレース選手権の第3戦・ノービス125ccクラスにデビュー。きっと予選落ちするんだろうと挑んだこの1戦で予選6位、ノーマルのままの車両で出た決勝レースで優勝してしまったことで「これはやめられない!」とシリーズを転戦するようになる。筑波SUGOと遠征し、チャンピオンとなった鈴鹿レーシングの吉田健一に2ポイント及ばずランキング2位となるが、同クラスシーズン最多勝となる3度の優勝を挙げる。同クラスには清水雅広(ランキング4位)も参戦しており、ノービスデビュー同期である[4]

スズキ

1985年、スズキの社内チーム「浜松チーム・タイタン」よりA/B級混走のTT F3クラスを走り、B級ランキング7位となる[5]

1986年 ヨシムラスズキ・GSX-R400

1986年、国際A級昇格と同時にヨシムラ入りし、スズキのレーサーグループに籍を置く。TT F3クラスをメインに、シーズン前半はTT F1クラスにも参戦。TT F1開幕戦で3位表彰台に立ち、F3第6戦筑波ポールポジション獲得など早々にトップ集団の一員となり、TT F3クラスランキング5位となった。シーズン終了後の10月5日にスポーツランドSUGOで開催された「TBCビッグロードレース」のTT F1クラスでは、WGP500参戦中の元250cc世界王者クリスチャン・サロン(ヤマハ)を抑えてポールポジションを獲得。決勝レースではサロン、ケビン・マギーに続く3位に入り、日本人トップの成績でシーズンを締めた[6]

ブルーフォックス

1987年、チーム・タイタンの先輩・岩崎勝が監督するチーム・ブルーフォックスに移籍、マシンをこれまでのスズキ・GSXからホンダ・RVFにスイッチしTT F1クラスに参戦。移籍初年度からホンダ・RVFにフィットすると、コンスタントに表彰台フィニッシュを続けランキング2位を獲得。8月30日にSUGOで日本ラウンドが開催された「ポカリスエット'87TTフォーミュラ世界選手権第6戦」では、ケビン・マギーヤマハ・YZF)、マイケル・ドゥーハンヤマハ・FZR)といった強豪を抑えポールポジションを獲得した[7]

翌1988年には7月17日全日本第10戦SUGO大会で待望のA級昇格後初優勝を挙げ、シーズンを通して常にトップ争いに加わる。同年の全日本TT F1クラスのシリーズチャンピオンを獲得し、創設3年目のブルーフォックスに初の全日本タイトルをもたらした。鈴鹿8時間耐久ロードレースでは、1989年・1990年大会と2年連続で大島正とのコンビで2位表彰台を獲得。1991年にはTT F1クラス2度目のシリーズチャンピオンを獲得と好成績を維持し続け、日本のトップライダーとして輝かしいキャリアを築いた[8]

カワサキ

1992年よりカワサキ・Team Greenに移籍、カワサキ・ZXR750 (ZXR-7)の開発陣に加わる[9]。1994年まで全日本スーパーバイククラスに参戦した。

引退後

ホンダレーシングスクール鈴鹿 (SRS)の2輪部門講師を務める[10][11]

ロードレース現役時代からラジコンカー熱が高いことで知られていたが、ワークスレーサー引退後は本格的にラジコンレースに参戦し好成績を挙げている[12]。2014年までは鈴鹿市内で本格的なレース用設備も準備された自らのショップ「ラジコンカーの店ミヤザキ」を経営[13]。定期的に開催されるレースイベント運営もしていた[14]

レース戦歴

全日本ロードレース選手権

チーム マシン 区分 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 順位 ポイント
1983年 ワンダーラビット・レーシングチーム ホンダ・RS125R ノービス 125cc TSU
-
SUZ
1
TSU
SUG
SUZ
TSU
1
SUG
1
SUZ
2
2位 60
1985年 浜松チームタイタン スズキ・GSX-R400 国際B級 TT F3 TSU
SUZ
TSU
SUG
SUZ
TSU
9
SUG
5
TSU
C
SUG
2
SUZ
2
7位 55
1986年 ヨシムラMOTUL スズキ・GSX-R400 国際A級 - SUG
Ret
SUZ
2
TSU
6
SUG
4
- TSU
3
TSU
Ret
SUG
Ret
SUZ
3
5位 73
スズキ・GSX-R750 TT F1 SUZ
3
SUG
-
SUZ
-
- SUG
2
SUZ
Ret
TSU
-
TSU
-
SUG
-
SUZ
-
11位 32
1987年 KENWOODブルーフォックス ホンダ・RVF750 SUZ
6
SUZ
2
SUG
2
SUZ
3
TSU
Ret
SUG
4
SUG
2
SUZ
7
TSU
2
2位 118
1988年 an teamブルーフォックス ホンダ・RVF750 SUZ
2
SUZ
2
SUG
1
SUZ
3
SUG
3
TSU
6
1位 97
1989年 ホンダ・RVF750 SUZ
1
SUZ
4
TSU
4
SUZ
5
SUG
1
SUZ
1
SUG
7
TSU
3
2位 124
1990年 ホンダ・RVF750 SUZ
3
SUZ
1
SUZ
3
TSU
Ret
SUG
1
SUZ
1
SUG
1
TSU
DNS
2位 110
1991年 ホンダ・RVF750 SUZ
2
SUZ
2
SUG
1
SUZ
4
TSU
4
SUG
3
MIN
5
SUZ
3
SUG
2
TSU
11
1位 146
1992年 Team K.R.T
(Team Green)
カワサキ・ZXR750R MIN
C
TSU
SUG
SUZ
TSU
SUZ
SUG
FSW
SUZ
SEN
SUG
9
TSU
Ret
22位 7
1993年 T.K.R.D カワサキ・ZXR750R SUZ
MIN
SUG
TSU
SEN
C
SUZ
SUG
FSW
SUZ
12
TSU
SUG
TSU
30位 4
1994年 カワサキ・ZXR750R SB SUZ
5
MIN
SUG
TSU
FSW
SUZ
SUG
SUZ1
SUZ2
13
TIA
SUG1
12
SUG2
15
TSU
21位 15

鈴鹿8時間耐久ロードレース

チーム ペアライダー 車番 マシン 予選順位 決勝順位 周回数
1986 ヨシムラMOTUL 大島行弥 30 スズキ・GSX-R750 8位 10位 186
1987 KENWOOD ブルーフォックス 阿部直人 46 ホンダ・CBR750 23位 36位 115
1988 ファミリーマートホンダ with an ブルーフォックス 黒川武彦 39 ホンダ・RVF750 4位 Ret 51
1989 an teamブルーフォックス 大島正 46 ホンダ・RVF750 8位 2位 201
1990 大島正 16 ホンダ・RVF750 7位 2位 203
1991 岩橋健一郎 16 ホンダ・RVF750 3位 10位 183
1996 Team IWAKI K's Garage 鶴田竜二 106 カワサキ・ZX-7RR 18位 Ret 112
2014 Winner Z-TECH & NCXXグループ 國松俊樹
吉田忠幸
20 スズキ・GSX-R1000 55位 21位 162

脚注

  1. ^ ライダー紹介2014 WINNER Z-TECH & NCXXX Group (2014年7月)
  2. ^ 歴代チャンピオン国際A級TT F1 MFJ日本モーターサイクルスポーツ協会
  3. ^ a b 「マシン性能を100%引き出したい!宮崎祥司」『ライディング No.200』日本モーターサイクルスポーツ協会、1986年11月1日、32-33頁。
  4. ^ 1983年全日本ロードレース選手権・全記録 『ライディング No.163』MFJ日本モーターサイクルスポーツ協会 1984年1月1日 20-21頁。
  5. ^ 「Data File 国際A級F3 宮崎祥司」『サイクルワールド11月号増刊 GRAND PRIX SCENE 1986』CBS・ソニー出版 1986年11月20日 195頁。
  6. ^ 「1986TBC BIGロードレース F-1 Class」『サイクルワールド11月号増刊 GRAND PRIX SCENE 1986』CBS・ソニー出版 1986年11月20日 178-179頁。
  7. ^ 4万8千の大観衆日本初のTTF1世界選手権を堪能! 『ライディング No.212』日本モーターサイクルスポーツ協会 1987年10月1日、38-41頁。
  8. ^ MFJグランプリの歴史を彩った伝説のライダーが鈴鹿に集結!各年代を代表する名ライダーが往年の懐かしい走りを披露 MFJ SUPERBIKE (2018年10月13日)
  9. ^ 鈴鹿8耐カワサキ編-01『ヤングマシン編集部』内外出版社 (2019年7月23日)
  10. ^ 講師紹介 鈴鹿サーキット
  11. ^ 2023年度HRS鈴鹿修了記念走行および修了式・交流会 ホンダレーシングスクール鈴鹿事務局 (2023年12月)
  12. ^ ヒストリー1990いよいよチャンピオンに ヤマモトレーシング 年月日
  13. ^ 「月刊鈴鹿なう!」鈴鹿でラジコンカーを楽しもう!「ラジコンカーの店ミヤザキ」 三重県鈴鹿の地元から、楽しいイベント、おいしいお店情報・鈴鹿なう! (2012年7月25日)
  14. ^ ケーブルネット鈴鹿に宮崎祥司さん登場 レーシングアナウンサー辻野ヒロシOfficialBlog (2011年10月15日)

外部リンク


タイトル
先代
大島行弥
全日本選手権TT-F1 チャンピオン
1988
次代
ダグ・ポーレン
先代
岩橋健一郎
全日本選手権TT-F1 チャンピオン
1991
次代
塚本昭一



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