宝珠寺 (豊中市)とは? わかりやすく解説

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宝珠寺 (豊中市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/05 05:46 UTC 版)

宝珠寺
所在地 大阪府豊中市熊野町3丁目10-1
位置 北緯34度47分28.2秒 東経135度29分03.2秒 / 北緯34.791167度 東経135.484222度 / 34.791167; 135.484222
山号 熊野代山
院号 花山院
宗旨 浄土宗
もと真言宗別当寺
本尊 聖観音菩薩
開基 仏眼
正式名 熊野代山花山院宝珠寺
札所等 摂津国三十三箇所第三十番札所
法人番号 1120905004256
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宝珠寺(ほうじゅじ)は、大阪府豊中市熊野町にある浄土宗寺院。かつては、真言宗の寺院であった。本尊は聖観音山号は熊野代山。また、寺の下には神社(八坂神社、もとは東山感心院祇園社と関係の深い牛頭天王社・熊野権現社)があり、別当を務めていたため、この寺は全国的にも珍しく、神社の上座に寺が遺り、神仏習合の状態をよくのこした神社である。[1]

長徳期(995年998年)の創建で、仏眼開基と伝わる。 起源は、摂津名所図会に、花山法皇が仏眼のもと、観音霊場巡拝の時、地形が紀州の熊野に似ていることもあり、この地の「くす谷山」に熊野権現を祀り、熊野に模して神仏の祀場を造営したとされている。これが「熊野代山」の山号、熊野町の地名の由来であり、八坂神社の由来でもある。

文化財

三重宝篋印塔

重要美術品(国認定)

  • 石造三重宝篋印塔(ほうきょういんとう)2基 - 本堂西側に位置する。花山法皇と仏眼の墓塔と伝えられる。南北朝時代に作られたといわれる。1935年5月20日、重要美術品に認定[2]

豊中市指定有形文化財

  • 金銅菩薩立像(こんどうぼさつりゅうぞう) – 飛鳥様式であり飛鳥時代後期のものと伝えられる。1年に1度しか拝観することができない秘仏
  • 木造彩色聖観音菩薩立像(もくぞうさいしきしょうかんのんりゅうぞう) – この寺の本尊平安時代後期に作られ、行基菩薩作といわれる。

所在地

大阪府豊中市熊野町三丁目10-1

札所

外部リンク

関連項目

脚注

  1. ^ 大阪再発見寶珠寺のヤマモモ
  2. ^ 昭和10年5月20日文部省告示第202号。認定名称は「石造三重塔 2基」(参照:国立国会図書館デジタルコレクション


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